『僕のヒーローアカデミア』の堀越先生が、
とあるキャラクタの命名に関して、一部の人から批判を受けています。
今回は渦中のキャラクタについて、私なりの意見も交えてお話しします。
キャラクタの名前は「志賀丸太」
問題のキャラクタは「志賀丸太」という名前で『ヒロアカ』259話に登場。
「氏子達磨」という偽名を使っていましたが、本名が明らかになったわけです。
そして1話で、主人公・緑谷出久が"無個性"であることを診断した"ドクター"でもあります。
では、なぜ「志賀丸太」が問題になったのか。
事の発端は志賀丸太というキャラクタのしていることにあります。
このキャラクタは、『ヒロアカ』という世界における"敵(ヴィラン)"に相当します。
そして"敵(ヴィラン)"サイドには、"脳無"という存在がいます。
"脳無"とは、元々人間だった人を、志賀丸太の手によって改造し、"AFO(オール・フォー・ワン)"の手によって複数の能力を与えられて造られた"改造人間"です。
つまり、志賀丸太とは、"脳無"と言う改造人間を作る"敵(ヴィラン)"ということ。
まずはここを理解していないと話についていけません。
"丸太"が隠語
時は遡って、第二次世界大戦の時代。
当時の戦時中に、日本(旧・大日本帝国)は"731部隊"という研究機関がありました。
兵士の感染症予防や生物兵器の研究・開発、それに伴う人体実験などを行っていたそうです。
そのときの人体実験の被験者となった捕虜のことを「マルタ(丸太)」という隠語で表現していたそうです。
これが今回の命名に関して問題となってしまったところになります。
つまり、
改造人間を作る志賀丸太というキャラクタが、当時の人体実験の被験者である"マルタ(丸太)"を想起させるため、不謹慎である
との意見が出ている、というわけです。
堀越先生と、集英社(週刊少年ジャンプ編集部)は、今回の騒動を受けて、
同じ名前の使用を控えると同時に、単行本での名前の変更を発表しました。
今週発売のジャンプで登場した志賀丸太という名前について、歴史的な出来事を想起させるというご意見を多くいただいています。命名にあたり、そのような意図を込めたつもりはありませんでした。ご指摘のお声を重く受け止め、今後は名前を差し替えさせていただきます。
— 堀越耕平 (@horikoshiko) 2020年2月3日
私の意見
これから言うことはあくまでも私一個人の意見となります。
世の中には違う考えの人も当然いると思うので、あくまでも一つの意見として聞き流してください。
ハッキリ言ってしまえば、堀越先生が可愛そうだな、の一言に尽きます。
まず第一に、志賀丸太という名前を付けただけで、隠語の"マルタ(丸太)"と結びつけるのは、かなり無理があると思います。
それこそ、丸太なんてどこにでもあるような言葉を使って、こいういった形で捉えられてしまうことは如何なものかと。
第二に、『ヒロアカ』における丸太とはシンプルに、"無個性"の象徴である言葉として使いたかったのではないかと思います。
主人公の緑谷出久も、OFA(ワン・フォー・オール)から個性を受け取るまでは、無個性の"木偶の坊(でくのぼう)"として、馬鹿にされていました。
そんな彼と対比するように、志賀丸太も無個性で「役に立たないものを指す同義語」である"丸太ん棒(まるたんぼう)"から名前を付けたのではないでしょうか。
今回の騒動は、私としてはそこまで騒ぎだてるようなことではなかったと思います。
名前に関しても、「関係者の名前をそのまま使った」とかではなく、
ただ「隠語でそういうものがあった」だけです。
それを今回のキャラクタの命名に繋げて作者を叩くのは少し度を越しているように感じました。
そして堀越先生と編集部の名前を使用しない&変更するという英断は間違っていないしむしろ正しいとは思いつつも、一ファンである私にはなんともやるせない気持ちのほうが強く出てしまっています(´・ω・`)
最後に
こういったこじつけに近い批判が今後も起こり、マンガなどの「表現の自由」が奪われてしまうのではないか、ということに警鐘を鳴らしたいです。
過剰な反応は時に、人の自由を奪います。
それは時と場合によっては、生きづらい社会を生んでしまうきっかけにもなると私は思うのです。
勿論今回の騒動は声を上げるべき案件だ、という人も中にはいると思いますが、少なくとも私は今回の騒動に関しては「騒ぎすぎだし堀越先生は悪くない」と感じました。
結論、私は堀越先生をこれからも応援し続けます。
今後も『ヒロアカ』という作品を、楽しく面白く描き続けてほしいと願っています。
以上、ヒロアカ好きの一ファンとしての心からの声でした(`・ω・´)ゞ